降るかな?
ぼんやりと空を眺めながら、ふと足を止める。そうして、また歩き出す。
アテはない。ただ、どうにも我慢ができなかっただけ。
近くの公園にでも行こうか?
久しぶりに母と過ごす日曜日。
いつもは勤める店のママやらお客やらからの誘いで出かけていくのに、珍しく昼過ぎまで布団の中。ようやく起きてきたと思ったら、大音量のテレビをお供にカープラーメンをズルズルと啜り、挙句の果てにコーヒーを注文してくる。
早々に自室へ逃げ込んだが、いくら高級マンションとはいえ、各部屋防音完備というワケにはいかない。リビングからのテレビ音に加えて、話し出したら止まらない長電話の大声。美鶴はとうとう部屋を出た。
少しは光熱費のコトも考えてくれっ!
環境が変わってもまったく素行の変わらない母親には、賛辞すら送りたくなる。
ブラブラと当てもなく歩きまわる。そう言えば、この街をゆっくりと見て回ったことはなかった。
美鶴母娘の住む下町のアパートが火事で全焼し、瑠駆真の用意した現在のマンションへ越してきてからしばらく経つ。だが、今までの雑然とした下町とは打って変わった洗礼された町並みに、美鶴は大して興味も持っていなかった。
いや、興味がなかったワケではない………
自分はなんとなく、異質な存在のような気がして馴染めない。
凄然と続く白壁はどこかよそよそしく、すれ違う人は誰も美鶴に気付かない。
気付かないのか、気付かないフリをしているだけなのか………?
まるで白い迷宮の中を漂っているかのよう。出口も見つからず途方に暮れてしまった迷い子のように、心許無さが胸に込み上げる。
―――――っ!
ハタッと足を止めた。
心許無い……… などっ!
そんな感情は、すでにこの胸の内には存在しないはずだ。追い出したはずだ。
だが、存在しないはずの感情が、心の中を去来する。
―――っ!
無様に焦る美鶴に澄まし顔の街並みは、霞流の屋敷がある富丘の辺りと、どこか似ている。
霞流さん …………
霞流の屋敷を出て以来、彼には会っていない。
………………
火事で自失する美鶴の前に現れた彼は、寂れた下町の中にあって、一人だけ異なる世界の人間。
外灯の下で白く細い指を胸に添える、凛々しさを漂わせた様。それはまるで、中性的な天使。今でも思い出すその姿は、記憶の中でゆったりと揺らめき、地から身を浮かせてフワフワと自分を見下ろしている。
どうしているんだろ?
ぼんやりと彷徨わせる視線の先で、何かがすばやく動いた。
――――― え?
路地に消えた影。一瞬遅れて消える髪。
人影を追うように、翻りながら消えていく。それは薄茶色の、しっぽのような長い髪。
霞流さんっ?
思ったときには駆け出していた。人影を追い路地を曲がる。だが―――
………いない
曲がった先には、誰の人影もありはしない。
確かに、誰かいたはずなのに………
霞流のことを考えていて、幻でも見てしまったのだろうか?
眉間に指を当てる。
なんで、霞流さんの幻なんて………… 見るんだろう?
己自身に唖然とするところへ、微かな笑い声。振り返ると女性が二人、楽しそうに美鶴の横をすり抜けていく。
知らない女性。だが、そのちょっと気取った笑い声は、同級生らを思い出させる。
この辺りには、唐渓高校の生徒も住んでいるだろう。出歩けば、出会ってしまうかもしれない。
平日の朝、最寄の駅のホームで見かける、自分と同じ制服の生徒。
逢いたくない……
だが、どこに何がありどのような人間が集まるのか、まったく知識のない美鶴。どうすれば唐渓の生徒と遭遇せずに済むのか、その術も知らない。
術もわからないまま、ただなんとなく最寄の駅から離れるように歩き回っていた。
ようやく入梅の知らせが出たのは昨日。それを知らしめるかのような、どんよりとした曇り空。まるで、美鶴の心を表しているかのよう。
聡や瑠駆真の追っかけにでも見つかったら、それこそ厄介だな。
そう眉を潜めて、ふと視線を落す。
今日は確か……
バスケの試合があると、金曜日に女子生徒が話していた。聞くつもりもなかったが、あまりに甲高い声なので聞こえてしまった。
「今回もきっと、フル出場だよね」
聡に想い入れる女子生徒は、きっと応援に行っているだろう。とりあえず、そっちの生徒とは遭遇する確率が下がったようだ。
ホッと胸を撫で下ろしながら、なぜか心に引っかかる。
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